第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 4 信仰対象イエスの獲得 (12)過去性の克服

    補論4 キリスト教命題派 独立倫理主義

トップページ Over View の終わりに、当論考の立場を「プロテスタント保守派」と述べたが、伝統的・福音的・聖書的信条を保持するために行った私の議論は、すべてが独自の論拠を用いた考察であり、現代主流派神学を退けながら、保守派神学にも拠り所を持つことがなかった。

論考の全体をほぼ書き終えたとき、この状況にある本稿を「プロテスタント保守派」と表明したままであることは適切ではないかもしれないと感じるようになった。ここに示されたキリスト教信仰は、伝統的であるプロテスタント諸教会と同じ信仰箇条に立っているが、その根拠や成立状況についての理解が既存のそれとは異なっているためである。

そこで本稿が示す信仰のあり方に適当な名前をつけて表明し直すことが、この論考に接する人に対して適切なことであると考えるようになった。

現代におけるキリスト教信仰はどのように成立するか。私はこの問題を使徒の信仰成立経緯に尋ねた。現代の信仰もまた、使徒の信仰を範とすべきものと考えるからである。(第一部 信仰論 Chapter 3 - Prologue

それにより、初代教会の信仰は「復活命題」が与えるイエスへの確信として成立したことが見出された。当論考はこの「復活命題」をキリスト教における信仰成立原理の一つとみる。この経緯は、第一部 信仰論 Chapter 3 に明らかにしている。

キリスト教信仰は、イエスに対する尊敬や自然な信仰心を経た後に、「キリスト教命題」による主観的必然性を伴った「使徒的信仰」として成立する。(第一部 信仰論 Chapter 3 - Proposition 1)「聖霊によって信仰が与えられる」とは、信仰成立について教会が述べる常套的な説明である。しかし当論考は、「霊」によるという、どんな宗教でもそう教えることができるような仕組みを、キリスト教信仰の成立の仕組みとして掲げなくてもよいことを主張する。

使徒行伝によると、ペテロはペンテコステ(聖霊降臨)の混乱の中で他の使徒と共に立って人々に語った、とあるので、この時、彼が行った宣教(ケリュグマ)に含まれる「復活命題」は、ペンテコステの聖霊降臨時に与えられたのであるようにも見える。

しかし、第一部 信仰論 Chapter 3 - Proposition 1 に既述の通り、この時に語られたケリュグマは、後に繰り返されるケリュグマにおいてもその構造が保たれていることから、この時点ですでに「復活命題」を中心とする形式が整っていたと考えられる。このことは「復活命題」の獲得が、ペンテコステよりも幾分先立っていたことを推測させる。つまり「復活命題」は聖霊降臨よりも先に獲得されていたのである。

もっともこの理解は、使徒の「復活命題」の獲得自体が聖霊の働きによるとすることを妨げるものではない。当論考は聖霊の働きということを拒否するものではない。ただ、それを理解の初めに採用することは、それが万能の解決となって、信仰についてそれ以上何の理解ももたらさないことになるので「聖霊」は説明に用いないのである。「信仰と理性論」とはそういうものである。[1](この点については、第二部 信仰と理性論 Chapter 1 - Section 1Section 2Section 3 参照)

ただしここで「復活命題」の獲得を聖霊降臨より早い時期と判断する理由は、「聖霊」をキリスト教事象の説明に使わないという方針によることではなく、あくまでも 第一部 信仰論 Chapter 3 - Proposition 1 での考察に基づいてのことだが。

そこで、当論考が示す「信仰は復活命題などのキリスト教命題によって生じる」ということ、そしてその信仰は「イエスに対する素朴な信仰の後、二段階目の信仰として成立する」という理解をキリスト教信仰の本来のあり方として支持する立場を「キリスト教命題派」と呼ぶこととしたい。(キリスト教命題」については第一部 信仰論 Chapter 3 - Succession二段階信仰」については第一部 信仰論 Chapter 3 - RicercareChapter 4 - Review 参照)

キリスト教倫理については 第一部 信仰論 Chapter 2 補論2 に基づき、以下のように考える。

パウロが「救いは信仰による」と教えたとき、それまでユダヤ教において信仰に常に伴っていた律法遵守は救いの条件から排除された。律法はユダヤ教の倫理であるから、救いに関する「信仰のみ」というパウロの信仰原理は信仰から倫理を分離したということになる。しかしそれは信仰が倫理をもはや不要として捨てたということではない。確かに救いのための倫理は消滅したが、倫理そのものがキリスト教から消えたわけではない。

イエスは最も大切な戒めとして「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。マタイ22.37)と、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。マタイ22.39)の二つを教えた。

第一の戒めは神への愛であるが、神への愛を倫理とは言わない。倫理とは人の道だからである。したがって第一の戒めは信仰である。つまりイエスが教えたのは、一つは神に対する信仰であり、もう一つは人に対する倫理である。それゆえ、信仰は神の前にただ一人立たなければならない自己の救いのため、倫理は他者への愛のためというのが、キリスト教における信仰と倫理の形である。

「救いは信仰のみによる」という教えは救いというものの性質を明らかにした。自分を神の前に立ち得ない者と認める信仰だけが神の救いに関わり得るのである。第一部 信仰論 Chapter 3 - Proposition 2 L101)そしてこのとき信仰の役割が明確にされたことで、それまで信仰と一体あるいは信仰に従属していた倫理の役目もまた新たにされたといえる。補論2「キリスト教とカント哲学における事実と倫理の分離構造」

もっともこの点は、これまで教会においてほとんど理解されておらず、むしろ「信仰のみ」の教えは倫理を軽視する風潮をもたらしてきた。教会内で「教会は慈善団体ではない」と堂々と言われることがある。しかしそれでよしとすることは誤りである。これについての経緯は、補論2「信仰第一、倫理第二の構造がもたらすキリスト者の倫理の弱体化」に述べた。

そこで当論考が示した信仰と倫理の独立した関係を、キリスト教の正しい理解として承認する立場を 「キリスト教倫理独立派」と呼ぶこととする。

すなわち、当論考が示したキリスト教は、信仰については「命題派」、倫理については「倫理独立派」である。これらのいずれをも支持する立場を「キリスト教命題派独立倫理主義」とする。正式な名称は「キリスト教プロテスタント保守命題派独立倫理主義」である。

ここに「保守」という言葉が入るのは、現代保守派神学と同じく、当論考は聖書に記されている神の「啓示」と「奇跡」の存在を文字通りに肯定するからである。この根拠については、第二部 信仰と理性論 Chapter 4 に明らかにしている。

キリスト教命題による信仰確立、信仰成立の二段階、信仰と倫理の独立した二原理、啓示と奇跡の肯定、これが「キリスト教命題派独立倫理主義」の輪郭である。

また「キリスト教命題派独立倫理主義」は、次の点についても重要と考える。

・聖書は「信仰の事実依拠性」と「倫理の非事実依拠性」という二つの解釈原理を持つとすること。第一部 信仰論 Chapter 2 - Argument 1-3

・聖書信仰をB.B.ウォーフィールドが述べる形で支持すること。第一部 信仰論 Chapter 2 - Argument 2

・信仰成立に必要であるイエスの知識を現代において獲得できるとすること。第一部 信仰論 Chapter 4

キリスト教信仰の成立と変遷についての当論考の認識を以下に示す。

信仰状況の変遷 論述箇所
イエスの宣教活動 人々の間にイエスに対する自然発生的信仰が生じる。使徒も同様の状況にあり、この時点ではイエスに対する確信的信仰である「使徒的信仰」には至っていない。 第一部 信仰論 Chapter 3 - Prologue L79
イエスの十字架上の死
イエスの復活
イエス顕現期の40日間  前期 イエスの復活の後、弟子たちは、かつての仕事に戻ろうとするなど、混乱の中にあった。 第一部 信仰論 Chapter 3 - Proposition 1 L219
イエス顕現期の40日間  後期 その後、イエスの昇天までの間に「復活命題」の獲得による「使徒的信仰」が確立する。「復活命題」が、顕現のイエスから与えられたか使徒自らが見い出したかは不明だが、使徒のケリュグマには「復活命題」がイエスから与えられたことを推測させる痕跡はない。 第一部 信仰論 Chapter 3 - Proposition 1 L186
イエスの昇天
教会準備期の10日間 復活命題」の獲得がこの時期の早い段階であった可能性もある。その場合は、「復活命題」は使徒自らによって見い出されたと考えられる。
ペンテコステ 初代教会の誕生。最初の宣教が、ペテロの「復活命題」によって行われる。 第一部 信仰論 Chapter 3 - Proposition 1 L76
ユダヤ伝道(ペテロ) 復活命題による宣教が続く。(エルサレム神殿、カイザリヤ) 第一部 信仰論 Chapter 3 - Succession
異邦伝道(パウロ) 復活命題による異邦伝道がパウロにより行われる。(ピシデヤのアンテオケ) 第一部 信仰論 Chapter 3 - Succession
復活命題から十字架命題への移行 アカヤ(ギリシヤ)のアテネで、復活命題による宣教の失敗が起こり、パウロは宣教の内容をイエスの復活からイエスの死(十字架命題)に変える。 第一部 信仰論 Chapter 3 - Succession L76
2世紀~16世紀 救いは信仰のみによる」というパウロの十字架命題が失われていた期間。ルターによって再発見されるまで、中世を通じて十字架命題の劣化版「信仰と修業による救い」が教会を支配した。 第一部 信仰論 Chapter 3 - Succession L159
2世紀~20世紀 イエスの復活は神によるイエスの是認」というペテロの復活命題が見失われた期間。K.バルトによって再発見されるまで、復活命題の劣化版「イースターでの心理的歓喜の繰り返し」が教会を支配する。 第一部 信仰論 Chapter 3 - Succession L159
第一部 信仰論 Chapter 3 - 補論3 L273
21世紀 当稿により、復活命題が、使徒行伝の複数のケリュグマに保存されていることが発見される。 第一部 信仰論 Chapter 3 - Proposition 1 L104
第一部 信仰論 Chapter 3 - Succession L157
21世紀 当稿により、16世紀のルターによって「信仰のみ」として再発見された救いについてのパウロの信仰原理が、信仰を倫理から解放すると同時に、倫理を信仰から独立させるものであることが見い出される。 第一部 信仰論 Chapter 2 - 補論2